エピローグ「物語のおしまいに」

 

臨時全校集会、と聞いた時からヨシダは嫌な予感がしていた。

文化祭の次の日、本来は片付けのためだけの登校日だったが、朝の点呼が終わると同時に全校生徒が体育館に招集されたのだ。集められた生徒たちは学年順に並べられ、しかし整然とした様子はなく落ち着きのなさを見せている。スカートがめくれるのも構わずにあぐらをかく者、何があったのだろうと憶測を話す者。教師たちが不穏な表情をしているのに対して、物見高さを隠さないまま、非常事態を楽しんでいるような雰囲気さえあった。もとより日曜日の登校で、文化祭で浮き足立った気持ちが抜けていないのだろう。その一方で、ヨシダは何も言わず大人しくしていた。

しばらくはさざめきで満ちていたが、生徒指導部長が演台に立つと揃って静かになる。完全に声がなくなったところを見計らって、「これから全校集会を始めます」とアナウンスが流れた。

揺らされたマイクがキン、と鳴った時、ヨシダはすでに覚悟をしていた。思ったより大事になってしまったことに驚いてはいたものの、こうなることはある程度予想していたのだ。

「正門がいたずらされていました」

そんな一言目を聞いて、ヨシダはいっそ安堵するような、心でくすぶっていたものが晴れていくような気持ちになる。怒られるかもしれない、と思いながら隠して過ごすより、あっという間にすべてが暴露されてしまった方がいっそ清々しいと考えていた。

生徒指導部長の説明は淡々としたものだった。こんにゃくが凄惨を極めた状態で放置されていたこと、昨日の施錠の際には異常はなかったことなどが伝えられると、生徒たちはまた好奇心の色を強くした。

「こんにゃく?」

疑問符を添えた声とともに、不気味がったり、面白がったりするような空気が流れる。そんな中ヨシダのクラスだけは心当たりのあるキーワードにハッとし、各々目配せをしながら、最後には一箇所に視線を集めた。

「ヨシダ」

クラスメイトの一人が話しかけてくるのを、ヨシダは苦笑いで受け止める。その表情で全てを察したのか、彼女は困り顔で「なにやってんの」と一層声を小さくした。昨日は体調が悪いと嘘までついたのだから、何かのっぴきならないことがあったのではと邪推されるのは仕方のないことだ。

ヨシダは無言のまま、演台の生徒指導部長を見上げた。派手な髪色を何度が注意されたことがある、男勝りな女教師だ。以前「オルタナティヴ」という微妙な評価を受けたこともあったが、当人が覚えているかはわからない。

「この学校の生徒がやったとは限りません。ですが、もし心当たりのある者がいるのなら、今日中に職員室に来るように」

ヨシダは一気に心が疲弊していくのを感じた。あの場にいた先輩たちを売るつもりはなかったが、なんと説明したものかと憂鬱になったのだ。今でさえ、不安そうに見守るクラスメイトたちに告げるべき言葉が見つからないでいる。

視線を隠すようにこめかみに手をやった時、「すみません」と、放たれた矢のようにまっすぐな一言が響いた。その凛とした声に聞き覚えがあったために、ヨシダは驚いて背筋を伸ばす。鼓膜を揺らしたのは、あの異様な夜を共有した生徒会長だった。

見れば、ハセガワは全校生徒が膝を抱えた中で一人立ち上がり、右手を挙げている。

何をするつもりだ、とヨシダは戦々恐々として身構えた。膝をつけて腰を浮かせ、今にもつられて立ち上がりそうになる。

制止の言葉をかけるべきだと咄嗟に判断した。けれど体育館の端から端へ、全校生徒の前で発言することに少なからず抵抗があり、迷っているうちにハセガワは「私がやりました」と白状してしまった。冗談ではなく頭痛がするような状況に、全身から力が抜けていく。

その時、後方にいた友人が「ヨシダがやらかしたんじゃないの?」と不躾な質問を投げかけた。実にのんびりした声を目眩の中で聞きながら「生徒会長と一緒にやらかした」と答える。

「え?」

友人はあからさまに眉をひそめた。

「よくわかんないけど羨ましい」

「羨ましくないでしょ!」

そうこうするうちにハセガワが壇上に向かって歩き始めたので、ヨシダはいよいよ焦った。三秒だけ考え、立ち上がり、走り出す。

「先輩!」

周囲の視線を振り払うように、綺麗な黒髪が流れる背中に向かって駆けていく。すでに色落ちし始めた青い髪が光った。半ばつっこむようにハセガワに追いつき、勢いのまま手をとろうとして、やめる。代わりに「ハセガワ先輩」と声をかけた。

「びっくりするのでやめてください!」

振り向いたハセガワはヨシダの想像に反して、何の感慨もない目をしていた。「来なくてよかったのに」とすら言われて、呆然と瞬きをする。

「そういうわけには…」

「ヨシダさんがそれやっちゃうと、他の二人も出てくると思うけど」

「あ、えっ」

そこまで考えていなかったヨシダは顔から血の気がひくのを感じた。咄嗟に後ろを向くと、コヤマとミツイが寄り添うようにして立ち、もじもじとこちらの様子をうかがっている。

「あーーー…」

やってしまった、と口を歪ませ、制服の胸のあたりを掴んでぐしゃぐしゃにする。そこで初めてハセガワが笑った。

「一緒に怒られようか」

 

不安そうなヨシダと、さらに不安そうなコヤマと、何故か堂々としているミツイとハセガワ、四人で壇上に上がる。昨日さんざん見た顔ぶれであるのに、こうして揃ったのはすさまじく遠い昔のことのように誰もが感じていた。

背中に痛いほどの視線を感じ、コヤマは今にも泣き出しそうな顔をしている。

「あとで来るようにって、言ったんだけどな」

ペースを崩された生徒指導部長はだいぶ狼狽しているようだった。立場柄、威圧的な顔をすることも多い教師だったが、こうなると滅法弱いことをほとんどの生徒が知っていた。

「ミツイ、またお前か…」

また、と言われたミツイは「すみません…」と背中をかがめるようにして反省の色を見せる。遅刻魔が災いしてそれなりに指導室とは縁が深く、お互いに怒り慣れているし怒られ慣れているのだった。生徒指導部長は「本当に反省してるのか」と眉間にしわを寄せる。そのまま、四人を右から順に指さして確認した。

「ミツイと…生徒会長と…あと? 見たことあるな…あ!オルタナティヴのやつ!」

ヨシダは肩をすくめ、首だけで黙礼した。

「またとんでもない色に染めたな…」

「申し訳ございません!」

清々しい謝罪は慇懃無礼と捉えられたのか、溜息とともに無視される。

「で…名前は?」

「コヤマです」

一番左にいたコヤマは、校則を大きく破ったことがないために名前まで認識されていなかった。

「コヤマ。学年は…三年?」

「そうです」

再度四人の顔を見比べ、「どういう仲間だ?」と尋ねる。

「どういう…」

四人は顔を見合わせた。

「ゆきずりの」「一晩だけの」「その場かぎりの」「関係です」

思い思いの言葉で答えると、怪訝な顔をされる。

「…なんでこんなことをしたんだ」

ハセガワの顔を見ながらの質問は、暗に「生徒会長まで加担して」という言葉が含まれていた。「なんとなく」や「むしゃくしゃして」といった答えは望まれていない。「すごく大変な何か」を期待されているのだった。四人の背後で、生徒たちも固唾を飲んで見守っている。

「なんで…だっけ…」

ハセガワは助けを求めて横の三人に目を向ける。しかし頼り甲斐もなく、皆して首を横に振るだけだった。ハセガワは少し思案するそぶりを見せたが、すぐに前を向く。まっすぐな瞳は、まるでいつもと変わらない生徒会長のものだった。

「わからないです」

正直に答えた直後、「馬鹿にしてるのか」と怒号が響き渡った。

 

犯人が見つかってしまったので全校集会はすぐに解散となったものの、四人だけは昼休みに指導室に来るようにと言われてしまった。きっとたっぷり叱られて、さらにたっぷりの反省文を書かされるのだろう。

教室へ戻る道すがら、クラスの列に戻るのも気がひける状態だったため四人で廊下を歩く。

「ミツイさん、もう学校来ないって言ってなかった?」

先ほどまで怒鳴られて半泣きだったコヤマが、隣にいたミツイにそう問いかける。こんな風に叱られるくらいなら、今日こそ家にいた方が良かったのではないかと思ったのだ。

「あー、呼び出されちゃって。捕獲されました」

へらりと笑う彼女には、一切の動揺が見られない。怒られ慣れているのもあるが、そもそも悪いことをしたという自覚がないようにすら見えた。加えて「補導された時より怖くなかったです」と口にするので、コヤマは呆れる。

「補導されたことあるの…」

「はい。制服で歩く時は気をつけないと…婦警さんが背後から近寄ってきて…こう…」

ミツイは手を胸の前にかざし、指を曲げてみせる。本当なのか嘘なのかわからない口ぶりに、ハセガワは興味本意で「怖いものとか、ないの?」と訊ねた。すると、ミツイはちょっとびっくりしたような顔で「えっ、ありますよ」と口にする。

「下駄箱、とか」

「下駄箱?」

真剣な眼差しは冗談を言っている風でもなく、ハセガワの頭に疑問を残しただけだった。コヤマはすでに理解を諦めた顔で前を向いている。

「…すごい怒られましたね」

会話の流れを無視してそう呟いたのはヨシダだった。さすがに全校生徒の前で大目玉を食らったことにショックを受けている様子で、うなだれた顔は髪の毛に隠れて周囲からは見えなくなっている。

「皆、すごい目で私たちのこと見てた」

「……」

しばらく沈黙が続く。他人に何と思われようが関係ない、そんな心にもないことを誰も口に出せなかった。

うつむくヨシダのまるい頭に、ハセガワが手を置く。

「仕方ないよ、怒られることしちゃったし」あやすように、軽くぽんぽんと叩く。「でも、なんだろ…よかったと思ってるよ。悪い事はしたんだけど」

不器用に言葉を紡ぐハセガワを横目で見ながら、ヨシダはようやく安堵のようなものを覚える。

「あ、なんかそれわかります。うまく言えないけど」

ハセガワに同調するミツイを見て、コヤマが「でも、ちょっとは反省しなよね」と指摘する。

「いや、良くないことしたと思ってますよ。…本当です!」

疑いの眼差しを向けてくるコヤマに必死の弁明をし、「ただ、でも、あれは不可抗力に近かったというか」と続けた。

「ううん…不可抗力?」

コヤマは首をかしげると、歩くペースを落とさないまま振り向いた。くるりとまわる身体にあわせてスカートの裾が広がる。

「なんかさ…不可抗力かはわかんないけど…なんでこんなことになったんだっけ?」

後ろ向きに歩き続ける彼女は、困ったような笑みを浮かべている。先ほどの問いかけに上手く反応できなかったのは、小細工なしの本心だったのだ。

「…なんでだろうね」

思い返せば、四人がここに来るまでにはたくさんの分岐があった。それぞれの頭の中に、春のプラネタリウムが、梅雨の映画館が、期末考査後の水族館が、夏休みの体育館が思い浮かぶ。まったく関係ないようでいて、あの日ライブに行くきっかけとなったものはたくさんあった。けれど、それを一言にまとめることは難しく、最後には全員が言葉にすることを諦めた。高校生活の全てがつながり、最後はその日しかわからない心の衝動に背中を押されてしまった、そんな感覚。

階段を昇り、一年生の教室がある階に着く。

「じゃあ、私こっちなので」

ヨシダがそう言って会釈する。

「そっか、じゃあヨシダさん、またあとで」

「あー、怒られるのやだなあ」

「お昼ご飯食べる時間あるかな…」

好き勝手な言葉を残して、四人はそれぞれの教室へ向かう。追いかけるようにして、チャイムが鳴った。