第3話「水槽標本」

二年ほど前から、私は水槽に住んでいる。

水の中は冷たくて苦しい。音も動きも鈍重になって、ただ光だけが自由に乱反射している。照らし出された私は苦しくてもがくけれど、いつも透明な壁にぶちあたって力尽きてしまう。そんなことを繰り返して、二年。

ガラス一枚隔てた向こう側では、私の苦悩も綺麗にたゆたうだけだった。

 

ハセガワさん、と呼ばれて顔をあげる。クラスメイトの女の子が私の席の前に立ち、少し緊張した面持ちでこちらを覗き込んでいた。夏をいっぱいに含んだ青い香りと日差しに、少女の白い肌が透ける。紫外線対策とかどうしてんのかな、そんなことを考えながら瞬きをした。

「なにか見てた?」

「…いや、なんでもないよ」

窓際の自分の席で、何とは無しに外を眺めていただけだった。頬杖をついてぼうっとしていた理由をあえて挙げるなら、少しの疲労だろうか。目を合わせると彼女はちょっと視線を泳がせる。普段あまり話さない子だったので、何とも会話の歯切れが悪い。

なぜ話しかけて来たんだろうかと訝しんでいると、ようやく視線を戻して口を開けた。

「さっき先生がね、今日の生徒会会議、ちょっと遅れるから先に始めておいてって」

「あー、そうなんだ。ありがと」

生徒会の顧問から言づてを頼まれていたと知り、納得する。

特に人をまとめるのが上手いというわけではなかったが、私は三年生になり生徒会長を任されていた。同じ中学の先輩に誘われて、生徒会には一年生の時から入っていたが、会長にまでなったのは成り行きみたいなものだ。他推されるまま選挙活動をして、他推だった故に当選してしまった。もとから部活には入っていなかったし、そこまで忙しいわけではないと知っていたので引き受けたのだ。

「大変だね、生徒会」

「そうでもないよ…顧問の指示に従ってるだけだし。ほとんど雑用」

実際、定期的に活動しなくてはいけないのは九月末の文化祭までだ。夏休みを目前にした七月中旬、そろそろ文化祭の出し物や予算を決める季節になり、それに合わせて準備が増えてくるので忙しく見えるのかもしれない。

「そっか、頑張ってね」

「うん」

気遣いの言葉に対して人当たりの良い笑みを浮かべて見せる。私としては、それで会話終了の意思を示したつもりだった。

しかし目の前の彼女は緊張しながらも会話を続けようとするような気配があったため、狼狽する。どうしようかと悩んだ挙句、私はついに視線をそらしてしまった。無意味に机から教科書を取り出したりして意識を別のところに向ければ、彼女は対話を諦めて立ち去った。

ちゃんと話せば良い子だろうに、私はこういうところがダメだと思う。でも、人と関わりすぎると悪いことが起きる予感がして身を引いてしまうのだった。

ふたたび一人ぼっちになった席で教科書をめくる。私の指を追い抜いて、風が数ページをさらっていった。

 

チャイムが鳴り、英語の授業が始まる。授業と言っても今週はテスト返却ばかりで、消化試合のような雰囲気があった。採点済みのテスト用紙を持った教師が、順番に生徒の名前を呼んでいく。機械的な作業と裏腹に、結果を受けとった生徒の表情はそれぞれ安堵や絶望で歪んでいく。時折悲鳴のような声があがるのを、どこか他人事のように眺めていた。

自分の名前が呼ばれ、席を立つ。テストを受け取る際、教師から様子をうかがうような視線を感じたが、あえて気づかないふりでやり過ごす。ちらりと見たテストには七十五点と書かれていた。平均点が七十三点だから、ほぼ真ん中だ。良いとも悪いとも思えない内容に、真顔でテスト用紙を折る。

隣の席の子が「ハセガワさんどうだった?」と無邪気に聞いてくるので、「普通だった」と返した。平均点くらい、と続けると「めずらしいね」と目を丸くされる。

「いつも英語の点数すごいから」

「…そうだっけ?」

苦笑いする。その子の言う通り、英語で平均点スレスレというのは入学以来初めてのことだった。でも、それは単に勉強をしなかったからで、特に想定外の出来事ではなかった。

もちろん、大学受験を控えている身として勉強はしている。予備校にも通い始めて、本腰を入れたところだ。ただ期末考査にむけての勉強をほとんどしなかった今の私の実力なんて、こんなものだろうと思ったりする。人より要領が良い自覚はあったが、努力をしなくなったら私の船は一瞬で沈むと知っていた。

 

けれど、周囲も同じ認識でいるかは別の話らしい。

その日に返却されたテストは四科目。そのほとんどが平均点と同じくらいだった。赤点を取ったわけでもないのに、クラスの皆は私を心配し始める始末だった。

「ハセガワさん、今回どうしたんだろ」

「いつも学年上位なのに」

「体調悪いのかな」

「ものすごく大変なことに巻込まれているんじゃ」

そんなことを遠巻きに言われているのが聞こえて嫌になる。友人と呼べる人間もいない私がどうしてこんなことになったのかわからないが、皆して私に幻想を抱いているのだ。つまり「成績優秀な生徒会長」というステータスを私にあてがって、トピックとして楽しんでいる。本来、ただのガリ勉で卑屈な人間を、だ。私自身、心を開くまでに時間がかかるので誤解されやすいきらいがあるのも原因だとは反省しているが、ちょっとやりすぎなくらいの持ち上げ方に戸惑うことも少なくなかった。

そうこうしているうちに、「平均点のハセガワ」はちょっとした騒ぎになっていた。終いには「ハセガワさん、悩み事があるなら…」と一人が名乗りを上げ、他のクラスメイトに羽交い締めにされているのを目撃してしまった。冗談なのか本気なのか、「ハセガワさんに対して抜け駆けは許さない」という馬鹿みたいな風潮がある。そのせいか、どこか他人行儀で未だになじめていないような感覚があるのだ。軽い会話は誰とでもするし、比較的よく話すクラスメイトもいたが、集団の中心で私だけが浮いている。矛盾しているようだが、人に好かれるだけ私の孤独は進んでいた。

 

クラスのざわつきは担任が入ってくるまで続いた。立て続けの消化試合の最後にロングホームルームが始まり、生徒たちはすっかり気が抜けた顔をしている。

休み時間中、私はずっとうつむいていた。

勉強しなかったのは自分であり、結果にも納得しているはずなのに、皆の反応を見て怖くなったのだ。成績が落ちたことで多少心配される予想はしていたが、思っていた以上に、成績の良くない私は受け入れてもらえないらしい。

「今日のロングホームルームは、文化祭についての話し合いです。実行委員は前に出て進めてください」

これまたやる気のなさそうな担任の発言により、締まりのないクラス会議が始まった。学期末の定期考査も終わり、本格的に文化祭に向けて話し合わなくてはいけない時期だ。教室は、さっきよりも静かにざわめく。

「えーと、演劇をしようという話はこの間したのでー」

進行慣れしていない実行委員が、たどたどしく黒板に文字を書いていく。

「あっ、演目! 演目も決めてました。演劇部主導でシナリオ書いてもらいます。現在執筆中とのことです! テスト期間終わったばかりなのにありがとう!」

ありがと〜、と間延びした感謝の言葉が教室中で起きる。幼稚園児も驚きの素直さと協調性があるクラスだ。もしかすると、馴染めていないのは本当に私だけかもしれないと冷や汗が出た。

「それで今日は、配役を決めたいと思います」

それまで倦怠感に満ちていたクラスにピリッとした空気が流れる。誰がどの役を演じるか、というのはかなり重要なテーマだ。劇のクオリティにも関わってくるだろうし、文化祭を上手く乗り越えられるかがここで決まる。そして何より、配役によって個人の負担が変わってくるのは明白だった。

高校最後の文化祭。楽しもうとか、悔いの残らないようにしようという空気が当然ある。その一方で、受験に響かないように、就活に障らないようにという考えが充満するのも仕方のないことだった。明確な羅針盤のない中で、私たちは来年以降、自分がどこへ行くべきか舵を取らなくてはいけない。将来の夢の有無に関わらず、高校三年生に等しく課せられた決断の時だ。自分の進路にとって重要すぎる一年間は、今年ようやく十八歳になる私たちにとってはとてつもない重荷である。言ってしまえば、祭りにうつつを抜かしている場合でない子も少なくなかったのだ。

「まずは立候補制で! やりたい役ある人!」

沈黙するかと思いきや、演劇部と、クラスで目立っていたグループの数名が手を挙げた。演劇部はもちろん最後に演劇がやりたかったのだろうし、クラスで思い出を作りたいという気持ちの強い子たちが揃って名乗り出たような形だろう。

演劇部の配慮で登場人物少なめのシナリオだったこともあり、残すところは端役がいくつかと、主役だけとなった。

「王様役…」

誰かがポツリと呟いたのが、やけに耳に響く。主役の王様役を誰がやるのかと、ちらちらと様子を窺い始める気配がする。嫌な予感がして、私は身をひそめるようにじっと動かないでいた。

主役なんて責任が重すぎる。私だって進学をする身で、どちらかといえば忙しい方なのだ。この不穏が自意識過剰であることを祈ったが、悪い直感ほど良く当たってしまうものだった。

「ハセガワさんにやって欲しいよね」

最初に誰が言ったのかわからないけれど、そんな言葉が聞こえて私は絶望した。あちこちを向いていた視線が次々に私に集まるのを感じて青ざめる。たちが悪いのは、彼女たちは決して私に負担を強いるための嫌がらせとして言っているわけでないのだ。本当に、私に主人公をやって欲しいと思っている。人望として喜ぶべきところなのかもしれないが、頼られても今回ばかりは応えられない。

断ろう、と思った。

伏せていた目を上げたところで、クラスメイトの期待の眼差しとかち合ってしまい、ひるむ。平均点を受け入れてもらえなかった傷が、じわりと血を出した。声をつまらせ、その隙にとどめを刺される。

「ハセガワさん、よかったら王様役やってくれないかな…」

そう言ったのは、シナリオを書いている演劇部員だった。今回、彼女が一番大変な役回りをしていると言って良いだろう。その立場で、名指しで、そんなに懸命にお願いをしないで欲しい。

結局、私は首を横に振ることができなかった。

 

 

「なんだこの、一年の…こんにゃく予算?」

放課後、生徒会室とは名ばかりの狭い空き教室に入ると、会計が頭を抱えているところだった。

「なにそれ」

思わず口をはさむと、すでに集まっていた生徒会の面々に緩く挨拶される。部活のノリとも違うこの空気を、私は気に入っていた。教室よりも狭いコミュニティの方が孤立を生みにくく、話しやすいというのもある。断りきれなかった主役の責任を重たく引きずりながらも、私は笑うことができた。

今年二年生の会計は「先輩〜」と弱り切った声を出した。机を寄せ合って広くしたデスクには、書類が散らばっている。

「提出された予算の一部がこんにゃくを買うためにあてがわれてるんですよ」

「経費でこんにゃくが食べたいだけじゃないの」

「そんな矮小な欲望を…」

ワイショウという表現が合っているのかは謎だったが、確かにおかしな内訳だ。

「意図が不明の予算は却下でーす。再提出!」

作業の進捗が良くないらしく、会計はテンションがおかしくなっているようだ。哀れに思いながら、隣の席につく。

「おつかれ、どうだった?」

そんなことを聞いてきたのは同学年の副会長だった。彼女は自分の茶髪を指先でくるくると弄びながら、愛嬌のある笑みを見せる。

「何が?」

「テストだよ」

またその話か、と若干うんざりする。倦怠感を隠さないまま「点数悪すぎてドン引きされたよ」と口にすれば、「嘘ぉ」と笑い飛ばされてしまった。

どうせ良い結果だったんでしょ、と言われ、全部平均点くらいだと素直に答えた。しかし「冗談はいいから」と信じてもらえず、しぶしぶテスト用紙を見せると信じられないような顔をされる。本当に深刻そうな声音で「どうしたの」とたずねられ、ついに心が折れる音を聞いた。

「どうもしないけど…勉強しなかったから」

しばらく、誰も何も言わなかった。驚愕のあまり声が出ないのか、私に向ける言葉を考えあぐねているのか、おそらくどちらもだろう。

沈黙を破ったのは会計だった。

「でも、ハセガワ先輩いつも成績良かったですもんね。一回くらいの定期考査、評定平均にしちゃえばどうってことないですよ」

きわめて明るい声でフォローをしてくれる彼女に、申し訳ないような気持ちになってくる。屈託のない笑顔に頷いてしまいそうになるが、私は評定平均という言葉に含まれた意味を正さなくてはいけなかった。

「私…指定校推薦とらないことにした」

後輩は皆、目をぱちくりとさせていた。副会長もぽかんとして、私の顔をまじまじと見ている。

確かに、定期考査ではこれまで上位に食い込むくらいの努力はしてきた。生徒会もやっているので内申点は良いと思う。これまで直接的なことは言わなかったけれど、私が指定校推薦を狙っているものだと誰もが思っていたし、私もその可能性を否定はしなかった。けれど、蓋を開けてみれば指定校推薦で行ける大学に魅力を感じることができず、ついに今回のテストでは成績にこだわらなかったのだ。

それは私なりの決意表明で、一般入試で戦うためにケリをつけた形だった。それがこんなに気遣われてしまうとは。生徒会に対して心を許していたから余計、えぐられるようだった。大変な間違いをした気分になり、決意が揺らぎそうになると同時、無性に悲しくなった。

「志望校があって…推薦入試だと後から苦労するって言うし、失敗しても、実力相応のとこに行こうと思って」

なかば自分に言い聞かせるように呟く。

はたから見れば、やらなくて良い努力をしているように映るに違いない。要領が良いと思っていたのは自分だけで、もしかすると不器用なのかもしれなかった。けれど、自分で決めた進路を曲げてまで器用に生きる必要があるのか、わからないでいる。

「そのままで充分なのに」

そんなことを誰かが言った。

一番聞きたくない言葉だった。誰が言ったのか確かめるのが怖くて、ずっと机を見つめる。

せめて生徒会室だけは、綺麗な思い出だけにしたい。

 

帰り道、「そのまま」という意味をずっと考えた。

日が伸びたとはいえ、もう夕焼けが目を焼くような時間だった。今まさに地平線に入ろうとする太陽のまぶしさから逃れるように手をかざし、私ってどんな人間に見えているんだろう、と考える。

彼女たちの言う「そのまま」は、きっと私ではない。

日の入りの数秒前、ひときわ強い光が指の隙間からこぼれて目を刺す。ぎゅっとまぶたを閉じるも、太陽の輪郭は焼き付いて離れなかった。影は緑からオレンジへと変わっていき、しばらく私の視界を削る。揺らめいて消えた頃に目を開けると、辺りはすっかり暗闇に落ちていた。

 

 

その週の土曜日、私は一人で外に出かけた。

一人で、とあえて言ったのは強がりかもしれない。私と一緒に遊んでくれるのは生徒会のメンバーくらいで、基本は誰とも会わずに休日を過ごしている。その生徒会室で聞きたくなかった言葉が出てしまったものだから、私はこの一週間ずっと落ち込んでいた。

とにかく日々の勉強から少し離れて、リフレッシュする時間が欲しい。場所はどこでも良かったのだけど、歩き回るのに七月の日差しは強すぎた。涼しさを求め、水族館にたどりつく。

チケットを購入し中に入る。久しぶりに来た水族館は思ったよりも賑やかで、心を落ち着ける場所、という感じではなかった。それでも、ぼんやりと歩きながら魚が泳いでいるのを眺めると、しばし嫌なことを忘れられた。水面がまだらの影をつくって、その隙間を魚たちが滑るように行き来する。綺麗だな、と陳腐な感想が残るだけで、頭の中のもやもやが昇華されていた。

途中、光る鱗をなぞってみたい衝動にかられるが、もちろん魚に触ることはできないのでガラスに指先をつけて手触りを想像してみる。そうしてぼうっとしていると、ふいに中にいる魚と目が合ったような気がした。トンネル状になっている水槽を潜っている時だ。生き物の目玉が動くのを見て、思わず後ずさる。閉じ込められて、見られているのは自分であるような錯覚を起こしたのだ。錯覚は一瞬で溶けてしまったが、ガラスを隔て、言葉も届かない外側から覗かれる気分にどこか既視感を覚える。

この既視感は、「そのまま」という言葉の呪いだった。

そのまま、綺麗なまま、私は私を続けるべきだと思われている。そんなのは私の望む結果ではないと切り捨てることは簡単だが、そんな簡単に他人からの評価を捨てられるほど強くない。

 

ゆらゆらと泳ぐクラゲを見ながら、私はこの後どうすべきかについて考えた。

クラゲたちは、観賞用に育てられていることに対して憤りを感じたりするのだろうか。ライトアップされた水の中でたゆたうことに不満を感じることは? 野生のクラゲとして、力強く生きて行く方が性にあっていると水族館を飛び出したくなることはないのだろうか? そこまで想像して、あまりの馬鹿馬鹿しさに口元が緩む。

水槽の中で育てられている生き物に自分を重ね合わせてみても、問題が根本的に違う。私の場合は、皆の期待に応えるために努力をしなくてはいけなかったし、その努力はすべて自分を殺すものだった。観賞用に飼われているわけでもなく、劣化しない死体として標本になろうとしているのだ。

私の水槽に満たされたのは、水ではなくてホルマリンだったらしい。

 

思考の末に麻痺した脳みそを、少女特有の高い声がつらぬいたのはその時だった。目線をそちらにやると、同い年くらいの女の子が何人かで、水槽を指さして笑い声をあげていた。ちょっと派手な見た目をした彼女たちに眉をひそめるが、どこかで見た覚えがあることに気づく。目を細めてしばし思案し、同じ高校の生徒であると気づいた。

同学年ではなく下級生の生徒たちだ。おそらく一年生だったように思う。人の顔を覚えるのは昔から得意で、こんな風に街中で自分だけが知り合いに気づくことがしばしばあった。

とはいえ、生徒会長という立場上、向こうも顔を見ればこちらに気づくかもしれない。私は壁際に行くとうつむいて、彼女たちが通り過ぎるのを待った。

 

混雑する週末の水族館の中で、彼女たちはとびきり目立っていた。他人受けを考えてオシャレをしているというより、自己主張の塊みたいな印象だ。はしゃぎながら水槽をのぞきこんでいたが、集中力を切らした一人が「ねえ、ヨシダの髪へんな色になってる」とからかいを口にした。

「え?」

「あは、ほんとだ。ライトのせいで緑色に見える」

思わず顔を上げる。ひときわ髪色の明るい少女の金髪が、青い光のせいで緑っぽく見えるのではしゃいでいるらしかった。金髪の子はしばらく髪の毛を触っていたが、なぜか得意げな顔になると「ほら、私、常にオルタナティヴだから」と言い放った。

「なにそれ」

「どういう意味?」

「わかんない。このあいだ生徒指導の先生に言われた」

「それ、怒られてんだよ」

あまりにも内容が空っぽな会話に、それまで落ち込んでいたことも忘れて吹き出しそうになる。気心の知れた友人との会話はこういう感じなのか、と切ない気分にもなったが、考えないことにした。

「だって髪の色、美容院行くたびにいつの間にか変わってるんだもん」

そう言って笑う彼女は何にも執着していないように見えた。ころころ色を変えて、自分の型を決めないでいる。そんな奔放な姿に、憧憬を抱いた。

あんな風に変わり続けることで、むしろ全てをゼロに戻せるんじゃないだろうか。そんな、良くわからない勇気みたいなものが湧いてくる。

そっと金髪を目に焼き付けてから、目を閉じた。

 

 

週が明け、またロングホームルームの時間がやってきた。夏休み前最後の話し合いの場で、いよいよ劇の練習の日時を決めたりする段階になっていた。

私は緊張で背中に汗をかきながらも、ぐっと前を向く。

今日が、水槽から出る最後のチャンスだった。

「すみません」

震えそうな手を叱咤し、頭上に挙げる。思ったよりも声が通って、教室中から寄せられた視線におののいた。それでも、標本に成り下がる前に、私は幻想を辞めなくてはいけない。

「このあいだ、せっかく指名してもらったんだけど…」

ガラスを破って、私は自由になる道を選んだ。

「私、やっぱり王様にはなれないです」